はじめに
SNSを開くと、なぜか怒らせられている。怒りは、反論、シェアし、引用などを促す。少し疲れて、それでもまた開きたくなる。
これを「性格」「SNSの使い方」の問題としていいのか。構造を探っていく。
第1章 怒りは「商品」になった
「レイジ・ベイト(rage bait)」という言葉をご存知だろうか。怒りを誘発するように意図的に設計されたコンテンツのことだ。
なぜ怒りが狙われるのか。答えは単純で、怒りは行動を促すからだ。反論、シェア、引用投稿――SNSにとって、これらはすべて「エンゲージメント」という名の数値だ。そして広告収益に直結する。
ここには脳の仕組みが利用されている。研究によれば、道徳的な憤慨を表明して「いいね」などの社会的承認を得ると、脳の報酬系が刺激され、「学習された感情強化」という依存サイクルが形成される。承認を得ると、次も怒りを表明しやすくなる。怒りが、学習され、強化され、再現される。
さらに「アンガー・コンタギオン(怒りの伝染)」という特性があります。怒りは人から人へ伝わる。プラットフォームのアルゴリズムが怒りを優先表示すれば、伝染は大規模に、高速に起こる。発信者が計算のうえで怒りを撒く「能動的な操作」の常態化――怒りは今、利益の手段だ。
強い刺激に慣れた脳は「情動的耐性」を持ち、より過激な情報でなければ反応できなくなる。怒り疲労を招き、建設的な対話が消えていく。
つまり、あなたの怒りは意図的に引き起こされ、あなたの行動を促す、誰かの収益源となる。
第2章 ユーザーの「自制心」の問題か
ここで立ち止まって問いたい。SNSにおいて、私たちは「顧客」なのか?
SNSの顧客は広告主だ。アルゴリズムは広告主が喜ぶ設定――滞在時間と反応の最大化――に最適化されています。では、私たちユーザーは何なのか。
快楽と学習を仕込まれ、商品として育てられている。
- 快楽(いいね、通知、不規則な報酬)で依存させ、
- 学習(行動データのフィードバック)でおすすめされ、
- 不安(比較、炎上、承認欲求の飢餓)で離れられなくされる。
「自制できないあなたが悪い」――そうだろうか。数多の資金とエンジニアが、離れられなくするために設計した装置の中で、「個人の意志の弱さ」に帰責出来るのか。
これは自己責任ではない。構造が原因だ。
第3章 現代の「贖宥状」――お金という免罪符
歴史を遡ると1515年、ローマ教皇レオ10世の名の下に「贖宥状」が売られた。金銭を支払えば、罪に伴う罰が免除されるという証明書だ。本来の意味が無視され、資金集めの手段となっていた。
1517年、マルティン・ルターがこれを批難した「95か条の論題」が宗教改革の発端になった。ルターが突いた核心は、「救い」が金銭取引に置き換えられていたということだった。
現代を見ると、
- 環境を破壊しても、寄付やオフセットで「贖宥」される
- 人の心を搾り取るビジネスも、利益が出れば「成功」として免罪される
- 個人は「お金を払えば」健康も安全もあらゆるモノが買えると信じ込まされている
お金が、現代の贖宥状になっている。ルターの論題が歴史を動かしたのは、ラテン語で書かれた論題がドイツ語に翻訳され、当時の新メディアであった印刷術で民衆に広まったことだ。専門家の檻の中の議論を、庶民の言葉に翻訳し、新しい流通経路に乗せたとき、贖宥状システムは初めて揺らいだ。
第4章 人間はパーツではない
根底にある世界観を見たい。
近代科学は、人間を自然の一部から切り離し、自然を征服対象とした。さらに人間自身を、細分化し、各専門分野に特化し、バラバラに扱われるようになった。
しかし、細分化されたヒトは互いに影響し合っている。人間はバラバラのパーツではなく、相互に影響し合う、地球に暮らす生き物として、自然の一部である。
宇宙への進出も、同じ世界観の延長に見える。汚した地球を捨てて次の場所へ――しかし場所が変わるだけで、同じことが繰り返される。足下の地球を汚すことは、生きられる場所を減らし、生活の質を下げることだ。地球は美しい。壊れて失われた物を元に戻すよりも、まだある物を残すことだ。
第5章 奪われた自由意思
何かを奪う構造があるから、「求めなければならない」事態状況になっている。
- 個人が内面化した余計なものを剥がす――「あなたが悪い」「努力が足りない」「これが普通」という、構造が埋め込んだ思い込みを、一枚ずつ剥がしていくこと
- 個人が自分の意思で選択できる状態を取り戻す――見るもの、信じるもの、暮らし方を、自分の意思で選べる環境を作ること
個人がこの循環から脱し、同時に、循環装置そのものを止めることが必要だ。
おわりに バラバラにされた人間性は、繋ぎ直せる。
(参考:本稿は、贖宥状・95か条の論題に関する公開資料、道徳的憤慨の社会的強化学習に関する研究(PNAS Nexus 2024ほか)を参照しています)